日本人でよかった
- 2 日前
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先日、京都を案内していただく機会をいただき、文化歴史のシャワーをたくさん浴びて帰ってきました。
そして "五感の芸術" 和菓子。

向月台と銀沙灘を表わしていて、銀閣寺境内のみで販売されているとのこと。実物を見学した後に購入してくださり、最高のお土産になりました。ちゃんとお茶を立て愛でたいけどなかなか...
お茶といえば、美術館のお茶席でいただいた俵屋吉富さんの柏餅。道明寺でできていて感動!
銀沙灘や柏餅を見て思ったのが、四季のうつろいや風景、和歌の世界観を小さな世界や菓銘に美しく落とし込み、食べる人の心の中に豊かな情景を思い起こさせるのが和菓子、ということ。
フランス菓子も、「ビュシュドノエル」「モンブラン」など自然の情景を形にしたものもありますが、季節の果物やその土地の産物を使ったもの、キリスト教にまつわるお菓子が大半だと思います。
一方、どちらのお菓子も歴史的に似たような変遷を経ていることも興味深いです。
フランス菓子は、フランス革命の後、王侯貴族に抱えられていた職人たちが街に出てお店を開き、庶民たちが口にできるようになり発展していきました。今回「水無月」というお菓子を作るにあたり、昔は貴重だった氷への、庶民の憧れから作られたお菓子、という成り立ちを再認識し、和菓子の変遷を調べたくなりました。
以下、AIによる回答です。
明治維新の東京遷都で最大の顧客(宮廷や公家)を失った京都の和菓子屋は、「一般向けの商売への転換」と「全国展開」を余儀なくされました。この危機を乗り越えるため、日持ちする干菓子の開発や、一般庶民の茶の湯文化を取り入れることで、今日の隆盛を築きました。
歴史的転換期を経て、京都の和菓子屋がたどった主な変化は以下の通りです。
1. 顧客層と商売スタイルの変化
宮廷から町人へ: 宮中への納品(御用達)が激減したため、一般庶民や町衆を主なターゲットとするようになりました。
菓子の小型化・多様化: 宮中の儀式用だった大きな餅菓子から、季節感を楽しめる「上生菓子」や、お土産として日持ちする干菓子(ひがし)の製造に力を入れるようになりました。
2. 全国(特に東京)への進出
江戸(東京)への出店: 最大の顧客である天皇や貴族が東京へ移ったことに伴い、菓子の需要を追って東京へ支店を出した老舗もあります。
代表例(とらや): 虎屋は京都御所の近くで創業しましたが、明治2年(1869年)に天皇が東京へ移った際、菓子の納入を続けるために東京へ進出しました。 [1]
3. 文化の担い手としての役割
茶道との結びつき強化: 千家(表千家・裏千家)などの茶道文化が京都で根強く残っていたため、お茶席で使われる菓子を製造することで、互いに支え合いながら伝統を守り抜きました。
お土産文化の開拓: 鉄道の開通などにより、観光客が京都を訪れるようになると、「京みやげ」としての箱入り菓子の販売に注力し、ブランドを全国区に広げました。
さすがAI先生! 茶道の時も、個人的に選ぶ際も、さらに敬意を持っていただきたいです。
和菓子もお道具も歴史もお手前も、深すぎて自分の教養の無さを思い知ります...
























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